みなさんこんばんは
今日は昨日に増して暑い一日でしたね。
日中は真夏のようでした。
さて今日は、「自分を愛すること」がなぜ必要なのかをお伝えしていきます。
自分を愛し、自分で自分を受け入れる事が出来て初めて愛する事の本当の意味に気が付きます。
大切な誰かを思う時、自分を愛することを知らなければ、誰かの愛を受け取ることも出来ないものです。
皆さんは、自分を愛することについてどう思われますか?
「ナルシスト」「自己中」「自分をわかってない人」「浮いている」
など、ネガティブなイメージが先に出てくる方もいらっしゃるかと思います。
その根底にある思いとは何か。
今現在に至るまでの間に、酷い言葉で傷つけられたり、誰からも認めてもらえずいつも自信が無かったりして、悔しさ・悲しさを閉じ込めてきた経緯が「あんな風にはなりたくない」と思ってしまう原因になる事があります。
小さい頃から家族が高圧的・支配的であったり、過保護や過干渉であった場合は特に自分に自信が持てない人が多いと感じます。
認められない、愛されない、自由になれない、ありのままを受け入れてもらえない、そんな経験が心の中で凝り固まって、ネガティブな思考にぐっと偏ってしまうのです。
受け入れてもらえない経験が多いと、自分が悪いと無意識下で強く焼き付けていたり、頑張らなければ愛されない、自分が努力すればいいんだと、頑張り続けてしまうほど愛を見失ってしまうのです。
自信がなく常に努力し、常に無理して頑張っているからこそ、自分と他人を比較して、自信があり余裕がある人が怠慢に見えたり、世間知らずに見えて、周囲の努力が目に入らなくなってしまうのです。
自分を認められないからこそ、人も認められないのです。
自分に荷物を載せすぎて身動きが取れなくなり、限界まで自分を追い込んでしまってから八方塞がりな事に気が付き、周りに助けを求めることも出来ず、酷い時には心の病気にかかってしまう事もあります。
鬱病になるケースにとても多い事例だと思います。
かつての自分も全く同じ状況でした。
私の母親はとても情緒不安定な人で、知らない間に機嫌が悪くなるなど、とても理解に苦しむ人でした。
母と私たち家族と2世帯で暮らしている時、機嫌が悪くならない様に、家事育児に必要以上に不安を感じて必死になっていました。
それに加えて母の無言の暴力と、夫への苦情、直接伝え合わない母と夫の仲を取り持とうと仲介役になり、気が付けば数年で酷い鬱病になっていました。
精神科に通い、10年が経った頃思い切って夜勤のアルバイトに出た頃からようやく少しづつ自分を取り戻すことが出来、母親と別居し環境を変える事が出来ました。
鬱病のせいか夜勤で働いていた事はわずかしか記憶にないのですが、家族が帰ってすぐに夜勤に出る。仕事に行けば笑うことが出来る。それが私を回復させてくれました。
最終的には夫とも離婚し、離婚してからの自分の回復はとても目覚ましく、自分を愛することを知るようになりました。
母も元夫も、私が何とかしてくれると言う酷い依存状態にありました。
私が一人でやりすぎた結果の話です。
気張ってやる人がいれば周りはやらなくなっていくものです。
子育ても同じです。親はいずれ先に逝くことになります。
子どもが離れていくまでに、自信を持って歩けるように自立を促していくのは親の使命でもあるのです。
あなたは「大丈夫」が口癖になっていませんか?
そして知らずのうちに苦しむことになっていませんか?
誰も頼らないという事は誰も必要としていないという事になります。
全部を抱えるという事は、誰かがやる機会を奪っているとも言えます。
自分が枯渇している状況なのに、周りの為に必死になっている場合ではないのです。
飛行機でも、救命胴衣は最初に保護者の方からつけてくださいとわざわざ案内を入れています。
人は自分の「安心」をベースにパフォーマンスを発揮できるようになっているからです。
災害地ボランティアで自分の食事まで人に分け与えて、力を失くしているようでは戦力にならないのと同じです。
ぼろぼろの人には助けてもらう事なんて出来ませんよね。
まずは、自分から。
自分を整えてられて初めて、周囲へ本当の意味での貢献が出来るのです。
次は具体的な方法で、自分を愛する方法をお伝えしていきます。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。