こんばんは。sharkoです
何だか今日は朝から寒かったですね。
起きた時から肩が凝っていたので、縮こまって寝ていたのだと思います。
さて今日は、「自分のやる事に自信が持てない」「どんな影響が出てしまうかわからなくて行動に移せない」そんな事を思ってしまう方へのお話です。
物事の受け取り方は多くの方が共感する良いことと、多くの人が共感する悪いことがある事は確かです。
ですが、実際は十人十色で誰もが同じ感触を得ている訳でもないと思います。
どういうことなのか、例をいくつか挙げてお伝えしていきますね。
今日のお話が皆さんのお役に立てますように
ある一つの行いが誰かの目には素晴らしい行為に映り、誰かの目には疎ましく映る事もあります。
それは「人柄」「キャラクター性」など、自分で表現しているものがその両端を分けることもあります。
いつもいい人が突然グレ出したら周囲はきっと驚くと思いますし、いつもキレている人が急に優しくなっても驚かれると思います。
いい人が「ごみを捨てる」のは普段の光景ですが、いつも悪態をついている人がごみを捨てたら、何か起きたのではないかと心配されてしまう事もありますよね。
後者の方は改心しようと思って勇気を出したのに、怪訝な目で見られるなんとも理不尽なことが普通に起こってしまうわけです。
ですが、もしも悪態をついている人の心の内を知っている人が見たら「よく頑張った!」と思うのですよね。
結局は、人の見た目なんて何のあてにもならないという事です。
意識的に人を傷つける行為でなければ、誰かの目を気にして自分のやりたいことをしないという事は、とても損をしているなと思うのです。
そして、自分の中に「自分軸」がしっかりあれば、誰が笑おうと自分が「良い」と思った事をすればいいのだと思うのです。
落ちているごみを拾って捨てた➡️汚いのが嫌だから
ブログを書く➡️書くのが好きだから
困ってるを人助ける➡️自分が気になるから
物を売る➡️いらないから
映画を見る、本を買う、服を買う…
どんな事もどんな行動も、それを見た人、聞いた人は受け取る人が思い思いに受け取っています。
どうな風に受け取るかまでは、操作は出来ないものです。
ならば、自分が楽しい、嬉しいと思う事を自由にして行ったら良いと思うのです。
何をして、何を言うかも自分の自由です。
人には言葉という道具があって、それをどう使いこなすかは自分次第なんですね。
端的な言葉だけで伝わる事もあれば、説明が必要な事もある。
あれこれ色々おまけを付けるよりも、率直に端的に言った方が伝わりやすいかも知れません。
そして、その端的な所からどう受け取るかは受け取った人次第なんですよ。
だけど伝えようとする努力は必要で、発信しなければ何も伝わる事はありませんよね。
貴方なりの言葉でいいと思うんです。
相手がどうであれ、伝わる時は伝わりますよ。
ウチの母親は、まぁ口が悪い悪い笑
一旦言葉のナイフで相手をブスッと刺さないと気が済まない様で、その言葉に何度傷ついて来たか分かりません
ですが、多分言いたい事は相手を思っての言葉なので、そこだけ「都合良く」受け取る様にしたら、なんとか聞ける訳です。
ただ、関わりたくないと思うのは意地でも人を変えようと攻撃的になるので、距離を空けていると言う感じです。
母自身も、そのままの自分を受け入れられる様になれば、他者のそのままの姿が気にならなくなると思うんですけどね。
それを言ったところで私の言葉を受け取らないのは明確なので言うだけ無駄です。
いま私が連絡もせず勝手に生きていて、母が何を思うかも知りません。
沈黙なら沈黙で何かしらのメッセージ性があって、それを相手がどう受け取るかは相手次第です。
もちろん、沈黙を「マイナス」として捉えず、負のスパイラルにハマるでもなく、何も感じないこともそれはそれだと思います。
ただ、今母が連絡をしてこない事は、ようやく生きる責任のバトンを渡し終えたと思っているのではないかと勝手に思っています。
もともと何かに縛られて生きていける人ではないので、ようやく子どもから解放されて自由を獲得できたのではないかと思います。
私は私で母が連絡をしてこない事でようやく自由に生きることが出来て、生まれてよかったと思う事もあって、母に感謝できるようになったわけです。
母は母で、私は私で、思うように生きていることでお互いに実は与え合っているという事なんだと思います。
自分を幸せにする考え方でとても大事なのは、何事も「どう受け取るか」です。
キラキラしている人を見て、鬱陶しいと思うのか、励まされるのか。
頑張っている人を見て、馬鹿らしいと思うのか、素敵だと思うのか。
自分次第でどんな世界も変わります。
そして誰かが見ている世界はどうでもよくて、あなた自身が心地よく行動していくことがとても大切です。
人は勝手に受け取りたいように受け取ります。
あなたが輝いて、それを疎ましい目で見て来る目は見なくていいのです。
人がどう思うのかはスッパリ諦めることで、自分らしくいられるようになります。
どう受け取られるのかはどの道コントロールできないのですから、自分がどうありたいのかを常に心に置いて、心地よくいられるスタンスを選択していくことが大切なのだと思います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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