Hug

生きやすさの知恵袋

人を信じる恐さ

こんばんは。sharkoですf:id:komachi_emi:20210831204341j:plain

 

今日は夜から雷がピカピカ光っていると思ったら、急な大雨になりました。

やっと買い替えた車での帰り道に大雨に降られたのですが、小さなワイパーも可愛くてルンルンだったので雨も気になりませんでした。

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簡単に乗り越えられる痛みと、そうでない痛み。

その痛みを封印することでしか命をつなげなかった人もいると思います。

 

そして時がたち、乗り越えられるときにそのチャンスがやって来ます。

酷い痛みである程立ち向かうことが辛く、信じたい何かにすがる事もあると思います。

 

今日はそんな心の痛みを手放すことに立ち向かっている私のお話です。

今日のお話が皆さんのお役に立てますように

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私は長い間、パートナーとの信頼関係を築いて来られませんでした。

 

その理由は、相手が消える恐怖です。

その恐怖を隠すために、まずは嫌われないように。やがては、常に「相手にとって必要な自分」を演じていました。

 

当時は気が付いていませんでしたが、本当の意味で愛するという事を知らなかったのだと思います。

 

それは、自分の中にある痛みに蓋をして無視し続けていたからです。自分の中に愛がなかったからです。

人は自分の中にあるもの以外は人に与えることが出来ません。

 

結婚をしていた時も、いつでも自分はそこからいなくなっても良いと思っていました。

世のため人の為、自分は人の役に立って初めて生きている価値があるのだと思っていました。

 

私は母の愛を知りません。

私を信じてくれる母親はいませんでした。

 

機嫌の悪い親をなだめるためにただ、いい子で過ごす。

自分を主張したい時もある。でもそんなときはいつも認められない。

 

寄ってたかって怒られて、自分の存在価値なんてものはいつの間にか消えていました。

 

私はいつの間にか、自分を犠牲にすることが当たり前で、犠牲になるという感覚すら失くしていました。

恋人が出来ても、他の女性と遊びに行くことが許せず、常に自ら身を引くことで関係を終わりにしてきました。

 

自分に自信なんて、どこを探してもありませんでした。

 

夜の商売で働いて、好きでもない人に体を触られても、ただ求められていることが嬉しく、それが愛される喜びだと思っていました。

 

裏切りが怖くて相手を縛り付けるところから、やがてはいつ去っても良いスタンスへと変わっていきました。

 

人の心なんて、いつ変わるか分からない。

そして、自分の心もいつ変わるか分からない。

 

自暴自棄な去る選択。

自分の気持ちも相手の気持ちも無視して去ったこともあります。

 

その人の為ならと、自分はどうなっても良いのだと、それが愛だと思っていました。

でも本当は、心から信じあえる人を求めてさまよって生きていたのだと思います。

 

結婚を含めて今まで恋愛依存に浸っていたのは、ただ自分を求めてくれる人が欲しかったからだと気が付いたのです。

 

この根源は、本当ならこの世で一番信じられる人であるはずの母親が、自分にとっては一番の裏切り者であったからだと思います。

 

いつも約束を守ってもらえない。

自分の身を守るためだけの嘘。

誰かの陰口、裏切り。

 

母親から聞いた離婚の真相は、全部が事実とは異なっていました。

母親の本心を含め、私に真実を語ってくれたことはありません。

 

父親から離婚の真相を聞かされてもまだ母親を信じたい気持ちがありました。

でも、母方の叔母からも父と同じことを後に聞き、生まれてきたことを心から後悔した時期があります。

 

何が真実か分からなくなり、そんなものはどこにもないと思いました。

 

自分の身を守る為についた嘘が、どれだけ人を傷つけてきたと思っているんだと、怒りをぶつけてやりたいと思う時期もありました。

 

母親の急な家出や、度重なる裏切りに傷つき、

 

いなくなったらどうしよう。

また裏切られたらどうしよう。

また騙されたらどうしよう。

 

相手を信じ込んで、今度裏切られてしまったら…。

人を信じるのが怖い、そんな自分にさせた母親が憎かったです。

 

だけど、もうそこからは卒業したいと思うのです。

真実は人の数だけあると知ったからです。

 

私の母親もまた人生の中で傷つき、自分を守ることに必死でした。

これは本人もまだ気が付いていないかも知れません。

 

ただ言えることは、自分が傷ついていると、人も傷つけてしまうと言うことです。

信じて関わってくれる人を、自分の中の恐怖から傷つけてしまうのです。

 

怪我をしている動物が、攻撃的になるのと同じなんですね。

弱い犬ほど良く吠える。それは、怖さ・弱さを隠したいからです。

 

人を傷つける人は、自分の傷に触れて欲しくなくて攻撃的になるのです。

 

私は今この痛みを乗り越えるチャンスを貰っています。

 

そして私は、自分が信じたい人を信じることを選択しました。

 

警戒心はまだ恐ろしく強いです。

でも私を信じて関わってくれる人に、私と同じ思いをして欲しくはないのです。

 

だからこそ、私は自分が信じたい人を信じるようになりました。

「信じられる人」ではなく、「信じたい人」をです。

 

そしてもう一つ大切な事は、その人を信じたいと思う「自分を信頼する」ことです。

 

もちろん誰でも彼でも、腹を割って話せるわけではありません。

でも自分の目を信じて、深く関わりたい人とだけ心許せる仲になる。

 

そういう歩き方もあるのだと思います。

この方が普通だと思われるかもしれませんね(笑)

 

たくさんの人たちに囲まれた幸せな生き方もあるとは思うのですが、多くはなくとも今目の前にいる人達を信頼して絆を深める幸せもあると思います。

 

今日は少し悲観的な内容になってしまいましたが、同じような苦しみを抱えている方に少しでも早く抜け出して欲しいと思い、書かせて頂きました。

 

もしもチャンスが来たときは、ゆっくりマイペースに取組んで頂けたらと思います。

 

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

もしもご覧の皆様のお近くに生きづらさの悩みを抱えていらっしゃる方が居ましたら、ぜひこのブログをご紹介いただけると嬉しいです。

 

このブログがどうか風に乗って必要な人に届き、少しでも癒しに繋がりますように…。

 


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