こんにちは。sharkoです
今日は幸せになる為のお話をしていきます。
これまで書いてきたブログの内容がどんなに不幸そうに見えたとしても、私が書いてきたことは実は幸せになる為にやって来たことです。
親との戦いも、結婚も、出産も、離婚も。
自分の足で確かめながら、頭で考えながらやって来たことです。
そして、実際に今満たされている状態であるから書けていることでもあります。
この先にまだ自分の知らない幸せがあるかも知れませんが、今確実に言えるのは昔より遥かに幸せを感じていると言うことです。
進めば進むほど、幸せになってきている。
「人は幸せになる為に生まれてきている」
この信念を人生の途中で見つけたからだと思っています。
私が今まで一番苦しんできたのは、自分に課した「制約」でした。
*人の気持ちが優先
*負の感情を外に出してはいけない
*家族に逆らってはいけない
*周囲の人を大切にしなければならない
*周りの人を幸せにしなくてはいけない
*周りの人の機嫌を取らなくてはいけない
*周囲の環境を良くすることを考えなくてはならない
*人が嫌がる事は率先してやらなければならない
*人を敬わなければならない
*弱き者は助けなければならない
*自己犠牲こそ美徳
これは、自分自身が生きてきた中で「幸せになる為に」やって来たことです。
一般的にもよく聞かれる内容です。
ですが、これだけでは正直苦しかった(笑)
どこにも自分がいませんね…。
そしてもう一つ取り違えてしまう信念の一つに、「世のため人の為に生きてこそ幸せになれる」と言う昔ながらの言い伝えがありますね。
でもその信念の裏にある、「たとえ自分が犠牲になっても」というおまけがついてくる教えもまた存在します。
どんな罪を背負って生かされているのか分かりませんけど、皆が自分の幸せを犠牲にしてたら誰が幸せになるんでしょうかね(笑)
でも実際、私は家族からこれを教わって生きて来ました。
うちってね、誰も幸せじゃなかったんですよ。
自分が幸せだから「こうしたらいいよ」って伝えるのならわかるんですけど、誰も幸せじゃなさそうなのに、苦しんでばっかりなのに、そんな人からの幸せになる為のレッスンって説得力がないですよね。
でも、言っていることに間違いはないのも確かでした。
家族が言っていることは「正しい」んです。
でも、どこか違うんです。
何が違うのか。
それはベースにあったものが、「今が不幸だから」なんです。
自分を犠牲にすると言う言い方自体がおかしくて、「やりたいからやっている」「あなたの幸せが私の幸せ」と言う意識が腑に落ちている本物なら、誰かに尽くす事は幸せな事なんですよ。
「幸せになる為にまずは他者を愛しなさい」
「愛されたいのなら自分から愛しなさい」
これって、自分に愛がない状態にしか思えないんですよね…。
愛されたい=愛されていると思えていない状態=自分に愛がない状態
という事ですよね。
自分から与えなさいって…。
自分が持って無いもの、あげられますかね?
自分から与える代表の「ボランティア」と言う行為。
これは自分の事を自分で出来てないとお役に立てないじゃないですか。
健康な体と、自分の食料と、体力のバランスが取れていなきゃ共倒れになってしまいますよね。
それと同じで、自分を犠牲にして誰かに尽くすんじゃなくて、持っているものを分け与えて誰かを幸せにしていくものだと思うんです。
自分を犠牲にしているのではなくて、「やりたいからやっている」「好きでやっている」状態なんです。
だから、お返しは要らないと思えるのです。
でも、その「与えている人」も実はどこかで愛情を貰っているんです。
それが「家族」であったり、「恋人」であったり。
近しい関係が上手く行くケースと言うのは程よい距離感を保てていて、「お互いに見返りを期待していない状態」「お互いに感謝しあえている状態」だと思うんです。
相互的に尊重が出来ているとか、お互いが満たされてそれが幸せとなっている場合だと思うんです。家族でも友達でも。
それに必要なものは、お互いに自分の本音を我慢せずに話す事だと思うんですよ。
与えたり受け入れたり、そのバランスを取っていく作業なんだと思うんです。
言いたくない事を言わせたり、自分の意見だけを押し付けることも違う。
黙って嵐が過ぎ去るのを待つのも違う。
大切な関係性であるなら、長く続く良い関係性を保ちたいなら尚更、腹を割って話す事は必要です。
その為に自分の本音を自分で理解しておく必要があるのです。自分の本音を話すことはワガママではありません。
お互いを尊重しすぎず、密着し過ぎない距離感を保つ事が大切なんだと思います。
お互いをラフに扱い過ぎることなく、離れ過ぎない事も大切なんです。
何事も、バランスです。
その上で、じゃぁどうしようか?と向き合って話し合う事で絆が深まっていくんだと思うんです。
受け入れ合うことと、与え合うこと。
言わなくて理解してくれるものでもなく、言いたい事が全て通るわけでもありませんね。
抑圧されて来たり、束縛がきつい中で生きてきた人は、自分の本音を「言い訳」「わがまま」として葬り去る事が癖になっている人がいます。
私もそうでした。
話をして欲しいんです。
どんな関係性であったとしても。
話してみたら意外と「なぁんだ」なんてこともあると思うんですよ。
関係性を失う事が怖くて話せない場合もあると思うんですけど、その場合はどの道上手く行かなくなってしまうんです。
その、実例をお話します。
私の元夫は正に本音が言えないタイプでした。
家庭と言う形を壊すのが怖くて本音が言えなかったんですね。
向き合うことから「面倒」と言って逃げてしまう。
ずっと「自信がない」「俺はダメだ」と言ってはいましたが、叱っても励ましても感謝しても甘やかしても自信を取り戻してくれる事はなく、心を開かない夫に嫌気がさしてしまったんです。
一緒にいても自信がないと言われたときは、心強い存在になれていないんだなと思い、とても寂しかったです。
自分も一緒に作り上げていると言う実感がない=家庭を作ったのは自分の意志ではない
愛されていると感じられない=相互関係を知ろうとしない
自分の心を見るのが怖い=自分に責任を負えない
つまり、「本人の問題」という事なんだと思います。
私は夫に本音を伝えていましたが、甘えることも離れることも受け入れてもらえませんでした。
上辺で取り繕っていれば何とかやり過ごせると思っていたのだと思うんですけど、結局破綻の道を辿る事に。
無責任に我慢をして来た私も悪かったんです。
そしてダメになったらなったで、お互いの傷はもっと浅かったような気がします。
彼は今精神的な病に陥っているとの事。
彼は恐らく、どこかで自分が豊かになるブロックをかけているんだと思います。
それはきっと、「責任を負うことへの恐怖」だと思います。
分かってはいますが、それだけです。
それをして来た事が今に繋がっていますし、依存されても責任を負えません。
それにもう会いたくないと言っていたそうです。
私的には安心しました。
是非とも私を嫌う力をバネにして自己愛を育て、自分の足で立てるようになってください。
きっと届くことのないこのブログでの最後のメッセージです。
私は自立してから、母にも夫にも何の感情も湧かなくなりました。
彼らは彼らで自分の人生を頑張って生きてきた一人であって、私が何か物を申せる立場でもないですから。
そして求められてもいないアドバイスをすることは、ただのお節介です。
彼は今、過去に自分が対峙した壁に直面している。
私が出来たなら、やがては誰でもできるんじゃないかなと思っています。
私が今出来ることは、自分の間違いを認めること。
同じ事を繰り返さないことだと思っています。
いつもスターを下さる皆様、本当にありがとうございます。
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今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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