こんばんは。sharkoです
今日はあまり聞かれることのない、割と最近提唱されて来た「カサンドラ症候群」についてお話をしていきます。
これは誰かに共感できない、エゴの強い人が周りにいる環境下にいる方に起こりがちな事です。
一般的に提唱されているのはASD:自閉症スペクトラム障害の夫を持つ妻が、パートナーとの情動的なやり取りが出来ない為に感情がはく奪される障害です。
これは男女入れ違う事もありますし、上司と部下の関係性であることもあります。
ASD特有の他人の情緒に共感できないという症状から、上手くコミュニケーションを取る事が出来ず、理解されないことから非ASPの方が自信を失っていきます。
世間的には問題なく見えるASPの方も多く、夫への不満を口にしても周囲に理解されない。人々に信じてもらえない現状を前に、妻が自分自身の苦痛を見て見ぬふりをするようになります。
その我慢が定期的な爆発を起こしては収まりを繰り返し、同じループから抜け出せない事も特徴的かと思います。
自分が自分ではなくなって行く感覚。
一緒にいるのに「1人」でいるような感覚。
献身的にエネルギーを注ぎ続ける妻に対し、それに呼応しない夫。
相互関係を育もうとしない夫に対し、上手にコミュニケーションを測れないことで更に自己価値を低下させていきます。
またASDの方の中には精神的な成長が見られないケースもあり、責任の全てを外側に押し付けてしまうため、パートナーが罪悪感を自然に抱くようになる事もあります。
精神的に未熟である場合は家族以外のお付き合いに於いても、常識外れの自由な行動から妻が自制するように働きかけるため、常に恐妻として周囲から見られていることもあります。
子どもがいる場合は手のかかる子供がもう一人増えているような状態です。
交友関係のもつれが発生し、周囲へのご迷惑を陳謝して回る事もあります。
愛情の交換が行われることが無いために、ASDの夫から受け取るものは殆どなく、常に消耗していく状態です。
支え合うと言うエネルギーの交換が起こらない事も特徴的です。
実際に私が病気で熱を出した時も、「看病」と言う観念は夫にはありませんでした。
次第に孤独感、無力感、偏頭痛、自己価値の低下、抑うつ、パニック障害、PTSDなどの症状が現れ、妻側は自分を破壊する行動に出てしまいます。
私はその行動が自己犠牲、リストカット、自分への攻撃、体を傷つける行為として現れました。
孤独感を理解してもらえず周囲に心身状態が悪い事を伝えても、共感して寄り添ってくれる人がいない場合は更に孤独に陥って行きます。
誰も理解者がいない。
共感してくれる人はどこにもいない。
こうして鬱に入り込んでいきます。
これは私も言われたことですが「病気と言えば許されると思うな」と、封じ込められてしまうのです。
周囲に理解されないことから、離婚に踏み切る事が出来ず長い年月をかけて同じ状態を維持しようとしてしまうため自分自身では非常に気が付きにくい症状です。
この状態は職場でも起こり得ることです。
そしてまたHSPなど、逆に共感性が強すぎる方がカサンドラ症候群に陥りやすいと感じています。
HSPの方は共感性が強い事から、一緒にいる相手と同化を測ろうとします。
その為自分の思考パターンまでも相手に合わせてしまい、本質は違うのにエゴの強い状態を表面に表してしまう事があります。
HSPの怖さとは、共感性が強いあまりに脳内まで染まってしまうんです。
周囲に合わせることをHSPの方には簡単に出来てしまうため、後々激しい自分との違和感を感じる結果となって行きます。
HSPの方は周りに合わせて自分の意見さえ変わってしまうのですね。
自らの心地よさを感じる方へ素直に進めたら良いのですが、相手への配慮からそれが出来ないのがHSPです。
そのため自分の本質を良く知り、そこから焦点をずらさず相手に合わせない努力をすることが大切です。
その為には内観「自分の本当の意志を知る」事はとても大切です。
カサンドラ症候群と幼少期における愛情不足は密接な関係性があると考えています。
親がASDであったり、そうでなくとも高圧的な感情の支配を受けて育った人は、自分の居場所を探すために「見せかけの愛情」に依存してしまいます。
誰かの束縛を受けることが一時は安心感に繋がるのです。
ですが心の関りを求めているにも拘らず、元々の自己価値の低さから自分を雑に扱う人に依存してしまうんです。
親や周囲から見捨てられたと思える経験を持つ人は、「見捨てられ不安」を持っていることがあります。
これは依存している相手から「捨てられる」事への恐怖であり、孤独になる事への恐怖が強い状態です。
つまり、相手への愛情とはまた別のものとなります。
そのため、自分がどんな扱いを受けていたのだとしても、ただ安心感を得るために現状に依存してしまうんです。
その人を本当に愛しているかどうかは別の話なんですね。
本来の愛とは、お互いを拘束せずともお互いの愛や存在を感じられる自由な形だと思うのです。
実際私も結婚生活に求めていたものは「安心感」「安定感」でした。
心から欲していた「支え合うこと」「心と心の繋がり」を得られることは無い状態。
それなのに、その現状を手放す事が出来ませんでした。
これは子どもがいるなどの理由の他に、孤独への恐怖と自信のなさもそうさせていると言えます。
自分が本来の自分自身を取り戻したとき、本当に必要なものが見えてくるのだと思うんです。
夫と完全に決別して数か月が経ちますが、心の浮き沈みを経験しながらもようやく心の躍動を感じられるようになって来ました。
そして私は愛情の交流が出来ない人から距離を置き、心の安定を図るようになりました。
そしてこれは「断れない自分」からの完全な卒業でもあります。
甘さを脱ぎ捨てたとも言えます。
夫の時の二の舞は絶対に踏みたくありません。
そして、自分が元々望んでいた人と人との関り。
お互いの話を正直に話せる相手だけに焦点を絞って関係性を育んでいます。
私は自分と他者の切り分けが出来ている人でないと良好な関係性を育むことが出来ないと感じています。
境界線が持てない相手との関係性は、どうしても希薄になりがちで傷つけあってしまう事もあるからです。
自分の心を守るためにも、相手に不用意な期待を抱かせない為にも必要な事だと思っています。
今回の記事は決してASDの方を批判しているものではなく、知らぬまま関ることで実際に起きてしまう現実に則したお話です。
どちらが加害者かと言うお話ではありません。
ASDの方とも良い関係性を育むことが出来る方もいらっしゃいます。
また、ASDの方自身もパートナーに寄り添う努力をすることも出来るのだと思います。
ただ、一旦カサンドラ症候群に陥ってしまうと復活するまでに時間を要するのも事実です。
自分の心を取り戻し、自己犠牲を繰り返すことをやめ、罪悪感で苦しむ事から抜け出し、自分の自由意思を確立させることが先決です。
そしてそれを周囲に押し付けることなく、両者の真ん中を選択していく事がお互いを満たし合う「調和」に繋がって行くものだと思っています。
私自身は出来事を悲観的に捉える事で様々な心の悩みに向き合い、人に共感もして来ました。
その為独りよがりに見えてしまうかもしれませんが、心身障害と言うのは一つの素因で起こるものではなく複合的に折り重なって起きてくるものです。
その一つ一つを理解して腑に落としているのも、人と言うものを理解する為だと思っています。
どんな心の状態も外からは見えないものです。
痛みを共感して、その上で誰にでも優しく関わる。
取り乱す事なく、落ち着いて冷静に対応する事を大切にしています。
「こんな人もいるんだ」程度に見てもらえると幸いです。
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今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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