みなさんこんばんは。sharkoです。
そろそろ蛍の季節ですね。梅雨の蒸し暑い頃に近くの川に行くと蛍が見えるので、子どもが小さい頃はよく連れて行きました。
今年も沢山飛んでるかな。
さて今日は、「脱・完璧主義」です。
人生が辛い分、付け入られるスキがないように頑張って頑張って今の自分を築く間に、「こうでなくてはならない」という鎖を自分に当て込んでしまう事が良くあります。
でもそれが思わぬ足かせになってしまい、他者と上手くかかわれない原因になっていたりします。
今日はそれを緩めていくお話です。
いつの間にか世の中の常識・親の常識が自分の常識になって、「こうしなきゃ」「こうであらなきゃ」と、自分の常識の「枠」を作っていくことになります。
親が偏った考え方である場合は、子どもも偏った常識が身に付き、そこに固執する事で大人になってから苦労してしまう事があります。
責任感が強い人ほど囚われの常識が多く、楽観的に生きている人を嫌う傾向があります。
機能不全家庭に育つなど、幼い頃から大人であることを意識せざるを得ない状況で育ってきた経緯を持つ方は特に、自分で何でも出来るようにならなければと、
無意識に強力な責任感を育てて自分を追い込み、それがかえって生き辛さを生む原因になってしまうのです。
何とも理不尽な事ですね。
そして頑張って勝ち得てきた実績であるほど他者に承認されることを望み、自分と同じようにふるまえない人を自分より価値が低い人として軽視してしまうことがあります。
自他ともに完璧である事を求めて、正しいか間違っているかの両極端で判断する事を求め、自分にも人にもグレーゾーンを残すことを許せなくなってしまうのです。
0%か100%か、正しいか間違っているか、白か黒かと、人を責める事が本意でなかったとしても、自分の正義を押し通すことで結果的に他者を悪として攻撃することになってしまうのです。
普段は穏やかでも反発されると急に変貌して猛攻撃してしまう事も特徴的な一面です。
でも、正しいと思うこと主張する事が悪いという事ではなく、意見を出す行為自体は何も悪い事ではなく必要な事です。
ですが完璧思考の人は必死に主張を押し通そうとしてしまうために、他者との調和がとれず、敵を作りやすいという事が苦しみを生むことになるのです。
さてここで、「完璧」とは何でしょうか。
世の中に100%完璧であるものはどれくらい存在するのでしょうか。
一例を挙げますね。
世の中でいう絶世の美女は、本当に誰にとっても美女に映っているのでしょうか。
最新の炊飯器、誰にとっても使いやすい、100%の人が良いと言う炊飯器は存在するのでしょうか。
新築の家は、誰にとっても100%住みやすい状態に出来るのでしょうか。
誰にとっても100%完璧というのは、実際に起きた出来事や数値化できることだけに言えることです。
〇〇県〇〇市で何時に事故が起きた。
〇〇さんにお子様が生まれた。
今日は〇〇円の売り上げがあった。
など、目で見て事実確認が出来る事象のみ、100%断言できることです。
同じ空を見て、青いと言う人もいればグレーだと言う人もいて、水色という人がいるように、自分が当たり前だと思っている事は、当たり前でない事は本当にたくさん存在するのです。
当たり前と思っている事は、自分の中にだけ存在しているものであって、必ずしも他者に存在するものではないのです。
自分の固定観念や常識に100%他者を当て込むことは不可能なんですね。
それを他者に強要することを「支配」と呼びます。
おそらく自分のクローンであっても環境が違えば持っている常識は違ってくると思います。
これくらいできて当たり前、世間の常識に従って当たり前、これくらい知っていて当たり前。それは誰にとっての当たり前なのでしょうか。
自分の中の当たり前に従っているうちに、周囲が見えなくなります。
抜けのない、隙の無い、完璧な人はこの世に存在するのでしょうか。
天才と呼ばれる人は、どこか違う感性があったりするものです。
人間は「不完全こそ美」であると提唱している方がいます。
私もまったく同意見です。と言うか、そう思えるようになりました。
パートナーシップを築く時、お互いの得手不得手を補い合える関係は不和が起きにくいと言われています。
この世に存在している物やシステムは、様々な意見があって一つの物が作られて行くのです。
つまり、一人一人は完璧である必要がないという事になります。
自分が出来ないところを他者が補い、それによって感謝の気持ちが生まれるものです。
ですが、今まで完璧を求めてきたことにも大いに利点はあります。
今まで完璧を求めてきた人であれば尚更、責任感が強い方なら尚更、受け入れることを知った時、他者に助けられた時の有難さは、そうでない人に比べてとても強く感謝の気持ちを感じられるものです。
無理せずあなたがあなたらしくいる事で動き出すこともあるのです。
心の病に陥ってしまう方の特徴として、本当は全てをちゃんと整えたいのに、現実が伴っていない事実に落胆し、頭の中で親の言葉が蘇ったり、自分を責める事で身体機能に異常を起こしてしまうのです。
そうなる前に、完璧主義思考であることを手放す勇気が必要です。
今まで本当によく頑張ってきましたね。
と私は自分を褒めました(笑)
自分が完璧主義だったかなと思われた方は、ぜひお褒めの言葉をご自身にかけてみてください。
肩の力を緩めて、他者に活躍してもらう事も必要なことです。
頑張って来たあなたは、これから頑張る人の強きサポーターでもあります。
完璧を求めすぎない。世の中に完璧はない。
だからこそ、家事が少し疎かであろうとも、失敗をしてしまう自分でも、うまく立ち回れない自分でも、それで回ることがあると知ってください。
今まで完璧主義だった人が緩めた状態は、他者から見ても出来てると思われるくらいの緩さです。頑張らないくらいが丁度良く見えるものです。
肩の力が抜けたあなたの方が、人の目から見ても魅力的に映るものです。
次は完璧主義をすんなり手放すために、もうひとつ大事なお話があります。
それはまた次回のブログでお伝えしますね。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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