こんばんは。sharkoです
今日は魂を磨くことについて書いて行きます。
魂を磨くとは、簡単に言うと「感情と上手に付き合う」と言うことでもあります。
人に尽くしたからとか、奉仕的活動をしているからとか、そういった事だけで磨かれて行くものではありません。
20代の頃、地域の子どもを集めて一人で遊ぶ子を無くす活動団体に属していました。
収入のない、完全なボランティアです。
子どもとの関り、親御さんとの関り。ボランティアなのに求められる厳しい要求。
完全な自主性を求められていて、悲観的・感情的になった人は、あっさりと切り捨てられます。
給料のない中、そこから何を報酬として受け取るのか、どれだけ自分や他者の主義主張と向き合っていけるのかを試されるんです。
中にはどうしても関わりにくい人が出てくることもあります。
その時に生まれた感情とどう付き合うのか。自分がしたことがその人にとって何を与え、自分が何を得るのか。
そうした活動やその後の人生の中で考えて来た事が自分の「エゴ」です。
「エゴ」と言う言葉をよく耳にされる方もいらっしゃると思います。
「エゴ」とは進む力でもあり、守る力でもあります。
誰かとのいさかいもすれ違いも全て、エゴとエゴの戦いです。
それぞれに守るものがあり、それぞれが進ませたい何かがある。
その主張を否定する権利は誰にもなく、どちらも正しいのだと思うのです。
だからこそ主張を押し通そうとするのではなく、両者の声にお互いが耳を傾ける必要があるのです。
これは、家族を含めたどんな人間関係でも必要な事。
「聞いてくれて当たり前」「理解してくれて当たり前」と、誰かに甘える事が当然であるようなスタンスでは難しい事です。
感情が先行して、激高する人も多く見ます。
それだけ真剣に向き合っている証拠ともいえますが、多くは自分の立場や主張を通したいだけ。
高圧的になって話すということは、その時点で相手の話を聞くというスタンスではないと、誰もが肌で感じますよね。
だからこそ、自分の感情と上手く向き合って何をどう言葉にしたら伝わるのか、相手が何を思うのかを知る必要があるのです。
そして、相手方にどんなバックボーンがあるのかは、見た目には分からないものです。
大人で過去に傷を負っていない人は恐らく殆どいません。
そうしたバックボーンを意識する事も、魂を磨くことに繋がる。
つまり、相手への配慮です。
誰もが幸せな家庭に生まれて、誰もが傷つくことなく生きてきて、のびのびとこの世を生きているわけではないですよね。
傷ついているのは自分だけではないし、頑張っているのも自分だけではない。
そう思えたら、誰の事も責めることは出来ないのです。
だからと言って、誰かの主張を全て鵜吞みに出来るわけではありませんね。
そして自分の主張もまた、相手方が受け入れられない時も当然あります。
どうしても折り合わない時が、人とのご縁が離れる時です。
私は母を突き放したことがあります。
今まで受け入れてきたのは、私が母を失いたくなかったから。
自分が寂しかったから、不安だったからです。
でも、母がしていることはとても理解が出来ない。
母の誕生日を忘れた兄に酷い言葉を浴びせ、何か月も怒ったまま。
乳癌を患った私に、「私の気持ちも考えなさい!」と言った事。
実の姉(私の叔母)にもいつも上からものを言い、半ば見下していた母。
子供や孫たちに人への感謝をずっと教えて来た母に、一番感謝の気持ちがない。
兄はとても忙しい仕事をしており、家族もいます。
兄が謝っても許さず、兄とは連絡を取らないと言う母に何度諭しても理解しない。
その母のスタンスに、絶縁覚悟で母を一人にする事にしました。
大切な人であっても、相手の為にならないと判断すれば私は離れますし、見返りを期待された愛情は親であっても受け取りたくないのです。
大切な人を大切に出来ない。思いやりも持てない。エゴ全開だった母。
人に教える事に懸命で、自分が出来ていない事に気が付いていなかったんです。
半年以上連絡を絶っていた母から、ある日「おいも食べる?」と一言だけlineが。
「食べるよ、ありがとう」と返事をして、贈る気になれなかった母の日のプレゼントをようやく渡すことが出来ました。
その後に会って話を聞きましたが、「子どもたちから求められると思っていたけれど、会いたかったのは自分だった」と話していました。
更にその後、兄とも和解しています。
「寂しい」を乗り越える事
「分かって欲しい」を乗り越える事
「与えて欲しい」を乗り越える事
私が寂しさから母に連絡をしたり、情けをかけていれば、元の木阿弥だったと思います。
それに家族ですから、心の奥底では信じているんです。
母が1人になり、寂しいのは自分だったんだと気が付かなければ元に戻らなかったでしょう。
魂を磨くということは、私は小さい頃から家族に鍛えられて来ました。
厳しい人生でしたが、それで良かったと思っています。
私は、裏のある愛情は与えたくないですし、受け取りたくもないのです。
家族への愛も、友人への愛も、豊かな真の愛情でありたい。
究極は、人への期待も執着も何もない、完全フリーな状態になります。
何も求めない。でも心に愛はある。許し、受け入れる力。
これが私が欲しかった「女性的な愛」のカタチです。
これからも魂を磨き続ける事と、真実の愛を周囲の人へ渡せるようになって行きたいです。
ドラマティックに書いていますが、円満家庭に育った家族なら普通にある話です(笑)
喧嘩しても仲直りできる家族。
実家がやっと普通の家族レベルに達したお話でした♪
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