こんばんは。sharkoです
今日は親への感謝についてお話をします。
私の母親は自分の両親に対して驚くほどの執着心を抱いています。
優しい両親に育てられ、とても幸せだったのだと思います。
8人兄弟の末っ子に生まれ、兄弟からも可愛がられていた母。
ですが、甘やかされることが当たり前で、誰かが何かをしてくれるのが当たり前の中で育ちました。
離婚した母を前に、祖母が小学生の私に涙を流しながら苦労を掛けると謝られたのが印象的です。
私は昔から母親が人として嫌いです。
元々は小さい頃から受けて来た精神的・肉体的な虐待が原因でした。
言うことを聞かなければ体罰・あからさまな無視。
理不尽な要求の押し付け。
裁判で子どもに会うことを禁じられているにも拘らず、勝手に来て作ったご飯の金銭は父へ請求。
しかもその金銭の請求役は兄と私でした。
その事でいつも兄と喧嘩。
そんな無益な戦いを母は知りません。
父に「なんであいつが食った飯代を俺が払うんだ!」と怒鳴られながら泣きながらお金を受け取り続けました。
小学校のクラブも、中学校の部活も、高校も、就職も、バイクの免許も、車の免許も、結婚も、出産も、離婚も全て反対。
それでいて、車で迎えに来てと都合の良い事を平気で言う人でした。
大事にしていたもの、思い出なども、自分が留守の間に捨てられました。
高校の時の彼氏には私の母親から彼の母親に対する嫌味を言い、関係を壊そうとすることが度々。
父と仲が良い事に嫉妬して、小さい頃に「何であんたばっかりお父さんに庇われるの!」と叩かれたり、「あんたは男に取り入るのが上手いわね」と嫌味たっぷりに言われてました。
相手は男ではなく父です笑
私が何か相談をしたくても、母の彼氏が優先。
人の全てを把握したがる、つまり支配下に置きたいのに、自分自身は秘密だらけ。
30代の頃離婚の真相を父から聞き、母の姉から聞き、私が母に聞いていた事が全て母の都合の良いように解釈をされた歪んだ事実だと知りました。
私が大人になっても会えばいつも誰かの悪口、自分だけが100%正しくて、常に誰かを見下しています。
会社への文句、兄弟への不満、家族への苛立ち、不機嫌を撒き散らし、絶交とも言える事を平気で人にやる・口にする。
人を不快にさせる天才です。
それでいて、私には「人は恨むな」「正しくいろ」「純潔でいろ」「人を敬え」「親には感謝しろ」「感謝が足りない」と言う。
自分の言う通りに生きていればいいと言うコントロール大魔王でもあり、それでいて言っていることは常に誰かの受け売り。
尊敬した事は一度もありません。
それでいて親に感謝しろと母は言いますが・・・
私自身としては、小さい頃に受けた虐待・精神的苦痛・金銭の橋渡し役・憂さの晴らし先・八つ当たりのサンドバック・そんな中でも比較的まともに育ったこと、それで全て恩は返したと思っています。
私が子育てをしていて思うのです。
子どもが元気に育ってくれている。それだけで十分なんです。
生意気でも、言う事を聞かなくても、子どもだって幼くてももう一人の人間です。
意思があって当然で、反発して当然で。
そんな人としての当たり前を受け入れられなかった母。
親に育ててもらって幸せだったと思うなら、感謝は自然と湧き上がるでしょう。
少なくとも、「しなければならない」事ではないと思うのです。
父は、離婚後私たちが寂しい思いをしない様に、激務に耐えながら眠い目をこすってでも遊んでくれる父でした。
料理を「一緒に作ろう」と失敗しながら作ってくれました。
その背中を見ているので、感謝しかありません。
感謝って、そう言うものだと思うんです。
父がボヤくのです。「俺はお前たちを幸せに出来たんだろうか」と。
そんな親としての想いは微塵も母から感じたことはありません。
そんな母が年末に私に言った言葉。
昔から聞いていたフレーズでした。
「あんたはあんたの元旦那にそっくりだね」
母は自分が嫌っている人物に私が似ているとよく言います。
昔の似ている対象は父でした。
長年一緒に居れば似てくるのは当たり前ですし、今の自分に不満はないのでそれは気にならないのですが。
ここでの問題発言は元旦那に似ているということではありません。
母が嫌う人物と私が似ているという点。
つまり、母親は私が嫌いだと言うことです。
なんだ、ある意味両想いじゃんという事を確信しました(笑)
それもそのはずで、私に同じように父を批判して欲しかったのでしょうが全く言う事を聞きませんでしたし、母の言う事には全て逆らって生きて来ましたので。
母の思い通りにならない象徴が私なんです。
嫌われている事は昔から気が付いていた事ではありましたが、いつか変わってくれるだろうと思っていたんですね。
そうは言っても母親ですし、切り離せなかったんです。
でも自分の中にある、母の人としての在り方、私への対応についての疑問と常に戦って来たんです。
母親としての考え方もまるで違う。
なので、母への思いを一切断ち切る事にしました。
昔の事を恨むとか、そういう事ではないんです。
ただ、求める気持ちが皆無になっただけです。
母親は今もよそで泣く小さい子供がいると「親は何をしているんだと」苦言を呈します。
親の苦労を知っていれば、そんなセリフは出ないはずです。
それに母は障害を持つ方が嫌いで、その親を労うどころか過去生で何か悪い事をしたのだろうと言います。
人権侵害も甚だしい。
残念ながら、私も発達障害者です。
「常識」や「普通」にばかりに気を取られ、「人」を見ない。
私はそこに愛は無いと思っています。
私には子ども優先と言いますが、母自身はそうではありませんでした。
それに言われずとも、自分が感じた寂しさをよく知っています。
母は自分が出来ない事を平気で人に押し付ける人です。
そんな事から母は、「親としての常識」を守ろうとしているだけだと気が付きました。
・子どもに教育をする
・面倒を見る
・家族と言う単位を守ろうとする
本当は嫌なのに、常識が邪魔をして私と関わらざるを得ないんですね。
「自分の中の当たり前」で、本音に蓋をしていることが分かります。
自分が親に感謝しているからなんでしょうが、無理をしているのは隠さずともわかるものです。
HSPの成せる業だと思います。
人の気持ちに敏感ですから。
でもこれをスピリチュアル的に見れば、この親あっての私なんです。
だからこそ私は人の痛みに敏感で、生きている間にしなくてはならない事があると感じるのです。
親から愛されなかった人、傷から立ち直れない人、暴力に悩む人、自分を愛せない人、子育てに悩む人、離婚に悩む人、自信がない人、癒されたい人・・・
今この時、苦しい渦中にいる方の負担を少しでも軽くしたいと思い活動を続けています。
自分が痛かったからこそ、誰かに寄り添える力がついたのだと思っています。
自分の在り方、立ち直り方をお伝えする事が出来るのだと思っています。
魂レベルでは、感謝すべき存在だと知っています。
魂は成長をするためにグループで何度も巡り合う設定になっています。
それぞれの魂にはそれぞれに配役があって、ソウルメイト同士で良い役も悪役も担当しているんです。
だからこそ、恨んだりはしていないのですね。
母を見送る時には、「お役目ご苦労様でした」と伝えたいと思います。
ですが最後まで、私は母にとっての悪役を演じ続けるつもりです。
それが、私の役目ですから。
親と子には、子が宿ったその時点で相互的に取り交わされているものがあり、全ての瞬間でどちらかが大きな負担を背負っていることはありません。
親は小さな命が誕生したことに感謝し、子どもは親のお世話になりながら成長する。
どんな瞬間も相互的に感謝は取り交わされていて、そこに差がつくことはありません。
子は親から学び、親は子から学ぶからです。
子育てをしている親の立場として言いますが、「親に感謝は不要」です。
感謝の代わりに、自分が幸せになることが最大の恩返しだと私は思っています。
いつもスターを下さる皆様、本当にありがとうございます。
とても励みになっています♡
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
このブログがどうか風に乗って必要な人に届き、少しでも癒しに繋がりますように…。
この記事が良ければ、「★」マークをぽちっと押していただけると励みになります。
ブログの更新情報はInstagramからもご覧いただけます。
https://www.instagram.com/komachi33_11/